タロットリーダー協会@みさきのゑです。
今日のタロット
火曜日は
OSHO禅タロット
火 エース THE SOURCE 源

【カードの意味】
このカードのシンボルは時間、運命、カルマを表す、
巨大な輪です。
銀河は絶えず動いている円の周りをまわっていて、
黄道12宮が表れています。
内側には、易経の八卦があり、
中心には四方位があり、
雷のエネルギーで照らされています。
陰陽のシンボルに向かって、創造的で受容的な
男性と女性が中心にあります。
世界で唯一変わらないことは、
変化することだと言われます。
生は絶えず変化し、進化し、死に、
生まれ変わります。
相反するものが、円形のパターンのなかで
それぞれを演じています。
輪の端にしがみついていると、
目が回ることがあります。
サイクロンの中心に向かって動いて、
リラックスしましょう。
これも通過することを知っています禅は問題を表面化して、
問題の根源を尋ねます。
禅は頭の中のエネルギーを使うことを
意識していません。
頭の中でエネルギーが使われているのであれば、
永遠に意識することはできません。
ホール(全体)を体験することはないでしょう。

エネルギーが中心にあり脈動するとき、
頭や心のどちらも動いていないとき、
源そのもので脈を打っているとき、
まさにそれが坐禅の意味です。

坐禅はただ座って、どこにも移動しません。
巨大な力が生まれ、エネルギー、光、愛、
より大きな人生、思いやり、創造力に変えます。
エネルギーは多くの形をとることができます。
しかし、まずどのように源になるかを
学ばなければなりません。
可能性がどこにあるかは源が決定します。
あなたは源でリラックスすれば、
源があなたを潜在能力へ連れて行きます。

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エネルギーが中心にあり脈動するとき、
頭や心のどちらも動いていないとき、
源そのもので脈を打っているとき、
まさにそれが坐禅の意味です。

一般的な坐禅と、OSHOの坐禅では、
捉え方の違いがあります。

一般的な坐禅の目的は
姿勢を調える、呼吸を調える、心を調える
心身の安定、リラックス、ストレス軽減、
集中力の向上などを目的に行われます。

OSHOの哲学において坐禅は
単なるリラックス効果のためではありません。
意識の根本的なリセットと、
生命エネルギーの原点への回帰を目的としています。

OSHOの捉え方では、
リラックスしようとコントロールしているうちは、
思考や感情が動いている状態です。
思考や感情の動きが完全に静寂であるとき、
何者でもない純粋な生命そのもの=源であることを
体験するとされています。

源でリラックスすれば、
源があなたを潜在能力へ連れて行くという
考え方に基づいています。

何かを良くしようとコントロールするのをやめ、
ただ宇宙や自然の根本的なエネルギー(源)に
同調して脈打つことこそが、
「坐禅」の意味であると定義されています。

沈黙と直感の中にこそ
真理が姿を現す
私の知性のすべてを働かせても
宇宙の調和に満ちた源の
ほんの一端に触れることしかできない
アルベルト アインシュタイン(

知性は優秀な道具ですが、
何かを理解しようとするとき、
私と他者、正しいと間違い、過去と未来といった
二元論で考えようとします。

この思考のノイズが鳴り響いている間、
世界の表面ばかりに気を取られ、
その奥底にある静けさに触れることができません。
限界がある道具をどれほど精緻に働かせても、
限界を超えた真理にたどり着くことはできません。

アインシュタインは、知性を極限まで
働かせた人物です。
しかし、その彼が最終的に行き着いたのは、
自らの知性への誇りではなく、
人間の知性の限界を正しく認めた、
宇宙の圧倒的な調和に対する畏敬の念でした。

頭のなかで繰り広げられるおしゃべりを止め、
心が何をもコントロールしようとしないとき、
「ただ在る」という状態を体験します。

例えば、
ただお茶を淹れる、
ただ歩く、
ただ目の前の人の話を聴く。

そこに上手くやろうというエゴがなく、
その行為と自分が一体化しているとき、
それは動的な坐禅であり「ただ在る」状態です。

リラックスしようと努力しているうちは、
まだ頭が動いています。
良くしようとするコントロールを完全に手放し、
今この瞬間の自分をそのまま受け入れたときに、
源の脈動と同調します。

知性で理解するのではなく、
存在全体で真理に同調する瞬間があります。

知性の限界を知り、頭を静かに休めること。
それによって初めて、
源へと深く潜っていくことができます。
真理とは、探求して手に入れるものではなく、
思考を手放した沈黙のなかで、
ただそこに「在る」ものとして出会います。

あなたもHAPPYな1日を